「洗濯」から、ひとりひとりの「意識」や「暮らし」を変える。
日常生活と切っても切れない洗濯。でも、ほとんどの人が漠然とやってしまっているのも、この洗濯という行為だと僕は思います。
服を買って着るところまでは、スタイリストさんやショップスタッフの人などがコーディネートしてくれるかもしれません。
しかし、一旦家に入った後、服を脱いで次に着る時までの「衣」に関する情報、技術、提案は、今この時代においてまだ、圧倒的に足りていません。
世の中には、洗濯"らしきもの"はあるが、本当の意味での「洗濯文化」は未だ出来上がっていない。
僕は常々、そんな風に思っています。
"洗濯をして、服を大切に着る”。そこからセカイは変えられる。
「ちゃんと洗濯する。」たったそれだけのことをやろうとした時、実は考えることってものすごく多いです。
服の素材について、洗剤について、電気について、水について、排水後の環境のこと・・・上げていったらキリがありません。
だから僕は、多くの人が漠然とやっている「洗濯」に意識を向けてもらうことで、ひとりひとりの「意識」や「暮らし」を「洗濯」から変えていきたいと思っています。
意識や暮らしが変わる人が、ひとり、ふたり、と増えたら、やがて社会が変わる。
そうなれば、「洗濯」からだって、セカイは変わるでしょう??というのが僕の仮説でありヴィジョン。
政治家が「政治」でセカイを変えようとしているように。
音楽家が「音楽」でセカイを変えようとしているように。
料理家が「料理」でセカイを変えようとしているように。
洗濯家の僕は、「洗濯」から、セカイを変えて行きたい。そう思っています。
世の中の洗濯に関する提案を見回してみると、「できるだけ手間をかけずに、効率よく、短時間で」という提案がほとんどだということに気が付きます。
多くの人やメーカーさんの努力の結果、洗濯は重労働から開放されて、楽になりました。でも、過度に効率化や収益化を求めた結果、色んな所にシワ寄せや、弊害が起こっていないでしょうか?
できるだけ手間をかけずに、効率よく、短時間でする洗濯が広がったことで、良かった部分もあれば、それがもたらした負の部分というのもまた少なくないと思います。
限りある時間、もちろん効率よく洗濯することも必要だと思います。でも、その結果、本当の意味で僕らは“豊か”になったのでしょうか??
逆に、楽に、簡単に、考えずに、という価値観が広がった結果、社会の至るところに問題が噴出しているようにも感じますし、衣服に関わる部分も例外ではありません。
例えば・・・
・服の低価格化による、低賃金での労働搾取、製品の不良・短寿命化、大量廃棄
・服の黄ばみや逆汚染、部屋干し臭など慢性的に汚れの落ちない洗濯の蔓延
・化学物質過敏症を始めとした健康被害や、テクノロジーの乱用、環境破壊、環境汚染
などなど、衣服を取り巻く状況にも、様々な問題が生まれています。だからこそ、何かを変えたいと思う人は少なくないでしょう。でも、その何かがわからずに悶々としている人もまた少なくないのではないでしょうか??
実は、これらを解決する、もっとも本質的でシンプルな解決策のひとつになるのが「洗濯」であると、僕は確信しています。日常的な洗濯という行為に改めて目を向けてもらい、そこから服を大切にする文化を創ることによってそれが可能だと考えています。
・衣服を大切に扱い、長く状態良く着られるように。
・素材の違いを知り、服の本質的価値を理解できるように。
・洗濯・クリーニングの技術を正しく知ってもらえるように。
・汚れを恐れずファッションを思い切り楽しめるように。
・洗濯に関するテクノロジーを適切に使えるように。
・洗濯を通じ自然環境と調和できるように。
そんな事を考えて、日々洗濯を伝えています。
「服を着る」ということを改めて深く考え、服を大切にする生活を今ここから。
よりよい暮らし、より良い社会、より良い未来を、共に自ら創っていきましょう!
洗濯から、セカイを変えよう!