洗濯する時に素材の強い方に合わせて洗い方を設定したらその服はどんどん痛んでいく。
だから、僕はいつも一番弱い素材をどう守りながら洗うか?を考える。
これは社会においても同じだと思う。
権力を持ってる人、大きくて強い人の声ではなく、一番弱い立場の人に合わせて設計しないとその社会はどんどん痛む。
洗濯なら、シルクとかデリケートなもの、糸が細くて弱いものに合わせたりする。
社会なら、
大人より子どもに。
男性より、女性に。
健康に動ける人より、障がいを持たれてる方に。
大企業より個人商店に。
とかになるかな。
でも、今は、全部ひっくり返ってしまっている。
かくいう自分も、そんな狂った社会を作ることに加担して来た一人だから、その事実に向き合うとめちゃヘコむ。
自分に矢印を向けることはものすごくキツイから、どこか誰かのせいにしたくなる。
でも、それだとセカイは変わらない。向き合うことでしか変わらない。