「家族が増えて洗濯物が増えて光熱費も上がって生活が苦しくなる昨今、洗濯も贅沢品になってきなぁと思う。この洗濯の仕方だと1日3〜5回は回さないといけないから
水道代爆上がりになるの目に見えてて実践できない…(洗濯物ほんの気持ち少なめの量で、すすぎは衣類は2回やってる)」
というリプライをTwitterでもらった。
「洗濯が贅沢品に」というのは確かにあらゆるものが値上がりしている昨今、言い得ている部分もあると思う。
でも、だからといって、
一回で洗濯を済まそうと詰め込み過ぎたり、
水道代を抑えるために、過剰に節水したり、
時間がないからとすすぎ一回にしたり、
こういった、「全然キレイにならない洗濯」を許容することは僕はできません。
現状みんなが行っている、洗濯機に水を入れてグルグルと服を回して洗う洗濯。
この方法で洗濯をする限りは、衣類と水と洗剤の量を適切にして、しっかりと濯ぎをしないと服の汚れはキレイになりません。
「衣類、水、洗剤を適正量にして洗い、たっぷりの水できちんと濯ぐ」
これが現在僕らが採用している「洗濯」においての基本。ここをズラしてはいけない。
これを「コスト」や「環境」のためとか、もっともらしい何かの理由をつけて、洗剤を使わないとか、水やすすぎは少なくていいとか、言い出すと、「理」から外れ、途端に洗濯はバランスを崩していく。
だから、「衣類、水、洗剤を適正量にして洗い、たっぷりの水できちんと濯ぐ」この基本的な洗濯をするのが、なんらかの理由でキツイ時、それは社会が歪んでいる証拠だ。
その時に、変えなきゃいけないのは洗濯の仕方ではなく、社会の在り方だと思う。
なぜなら、「基本的な洗濯」が出来ないほど、僕らの社会は貧しくなり、おかしくなってしまっているということだから。
今こそ、洗濯のコストを下げるのではなく社会の歪みを直したい。
その歪みを作り出してきた一人として、僕はそう思います。